自分は自分が思う以上に頭が悪い
下町を歩いた。見知らぬ人にも挨拶をするその町に温かみを感じる。果たして自分がそこに住んだら同じようにできるかと考えると、難しいと思った。環境が人を作るというけれど、自分はやすやすと変われなさそうだ。できれば、急にプリキュアと言われてすぐに変身できるくらいの柔軟性が欲しいものである。
いつも私を苛む感情が「嫉妬」だ。
すべての友達の一番になりたいし、SNSでいいねがたくさんほしい。フォロワーもたくさんほしい。
SNSは一番嫉妬を刺激するからアプリを消したけど、それでもたまにブラウザから見てしまって嫉妬が息を吹き返す。
自分がこうなりたいと思う理想として、SNSに依存しない人、できればすべてのSNSに登録してない人っていうのがあるんだけど、現実問題SNSから退会なんてできない。SNSだけの繋がりの友達とひょんなことからご飯に行って仲良くなる経験をしてしまっているから。
人にすごいと言われたいのに、そのために努力できない自分が気持ち悪い。
努力と言っても方向の見えない努力もいけないようで。
前職で「頑張ります」と言うと、上司から「何をどう頑張るか言え」と言われた。何をどう頑張るか言った上で「頑張ります」と言うと、お前は頑張りますとは言うけれど何も頑張れてない口先だけだと言われた。
まあ、トラウマなんだけれど。
だから、ちゃんと、目標を明確に持ってそれに向かって努力しなければならない。
プリキュアたちは敵を倒すっていう明確な目標があるからあんなに早く変身できるのかもしれないし。
私はとりあえず承認欲求っていう敵を倒さなければならないのかもしれない。
セックスがしたい 2
新宿を歩いていると、夜の子だろうなと思う女の子をよく見かける。
女の子が体を売ることを「春を売る」というけれど、どの年齢まで「春」であれるのだろうか。
私の春はまだ来ない。ずっと冬。誰も温めてくれない。
セックスがしたい。
最近、AVを見てみた。
女優があえいでいるのを見ても興奮しなくて、むしろセックスしたことのない私にとっては感覚が想像できなくて、そんなにいいもんなのかと疑問な目でしか見れなかった。
世界三大珍味を食べておいしい! って言ってる人を見る感覚。食べたことないからわからんし、それって高級食材だけど珍味じゃん? っていう。
で、AVをしっかりばっちり見てたんだけど、こんなの見てるとセックスに対して客観的に見ることを先に覚えてしまって実践でも今この段階かーこんな画かなーとか思っちゃうんじゃないかとか、思うと怖くなって見るのやめた。
ブラジャーを買いに行ったらバストがワンカップあがってて虚しさを感じた。
誰にも揉まれてないから太っただけだろうな……揉まれる予定もない。サイズをはかってくれた店員さんくらい。
ブラを選ぶときも、この色は似合わないし、でも好きな色なんだよなあとか悩んだけど、別に見る人いないじゃんって気付いた。
世の中の人はどうやってセックスにこぎつけてるのか。
どんどんセックスの無駄な知識がついて、セックスに構えるようになってセックスのハードルが高くなっていってる気がする。
猿のように何も考えずに挑みたかった。今のところ挑む予定はないんだけど。
最近セックスしてない、とかいう人って言っても一週間とか一ヵ月、半年とかでしょ。私は四半世紀ぞ。最近どころじゃない。生まれたときから。噛みついてごめん、最近って正確な言葉使ってるね。
自分の何に問題があるかって考えるとそもそも恋人ができない。ここ。
多分、同じくらいの年齢の彼氏ができたら速攻でセックスきめれそうな気がする。どうやったら恋人ができるんだ。
「死」を考える
飛行機に乗った。
雨上がりの空の上は輝いて、白い雲がどこまでも続いている。日光に照らされた鉄の翼が、つんと青空の中に伸びていた。
飛行機は苦手だ。
常に真後ろに「死」を感じるから。
横断歩道を歩いて渡っているとき、自転車で坂道をくだるとき、「死」は割とどこにでも転がっている。
けれど、日常に紛れた「死」には人は鈍感になる。飛行機に乗ったときや異国を訪れたときなど、非日常の方が「死」のにおいを近くに感じる。
私はまだ、「死」ぬ準備ができていない。だから、「死」がとてもこわい。
ジャーナリストの知り合いと話していたとき、その人は人生の残りについて「もう50年しかない」と言った。
私は「まだ50年もある」と言った。
これは「生」への向き合い方の違いか、それとも「死」への向き合い方の違いか。
その人は、生きているうちに成し遂げたいことがある。けれど、それは国を変えるようなことであり、かなりの時間がかかる。
生に向き合っているからこその「もう50年しかない」である。
一方の私は成し遂げたいことなんて特にない。ただただ「死」が怖いので、遠くに感じたいだけ。
生に向き合わず、「死」から逃げたいがための「まだ50年もある」だ。
『死にカタログ』という、「死」について書かれた本を手に取ったことがある。
シンプルなイラストや文章で「死」についての様々なことが書かれていた。小さな子どもでも読めるような面白さだった。その本の中の「死に向かって生を折りたたむ」といった文が深く印象に残っている。
今の生をどのように「死」に収束させるのか。
そもそもとっちらかっているように見えて空っぽの生なので、とりあえずやりたいことを考えることにした。
私は自分の思考回路をあまり信用していないので、人が作り上げたノウハウが好きだ。
そういうわけで、『死ぬまでにしたい100のことを書くノート』を買ってみた。
文字通り、死ぬまでにやりたい100のことを書く。
あれもこれも、とたくさんことをやりたいと思っていたけれど、改めて考えて書き出してみるとやりたいと考えていることは10にもいかなかった。
はたして、この10にもいかないやりたいことを「死」ぬまでにできるのか。したところで、それは「死」へ生を折りたたんでいると言えるのか?
人生はあと50年とちょっとしかないけれども、焦らずゆっくりと確実に生きていくのが一番の近道な気がする。
気がするだけで、正解かはわからないし、そもそも正解があるのかどうかすらわからない。
飛行機は離陸すれば着陸に向かう。その間にすることはルーチン化されている。
人間は産まれると死に向かう。けれど、その間にすることは何一つルーチン化されていない。
難しいことをすべて放り出してベッドで寝たい。
そんなことを考えているうちにいつの間にか着陸態勢に入っていたので震えながらペンを置いた。今日はここまで。
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嫉妬に疲れた
歩行者信号が赤だった。足を止めて、ふと周りを見回してみるとスマホを掲げている人がいた。そのスマホに写る、天高く澄んだ青。思わず上を見上げる。そこには、どこまでも青く、青い、空があった。
私がスマホでよく起動するのはSNS。インスタを開いて、閉じて、1秒後に再びインスタを起動するほどのSNS中毒だ。
そして、同時にSNSが苦手でもある。
同世代がきらきらとした道を進んでいるのをまざまざと見せつけられるから。
嫉妬に疲れる。
いいねを押す気力もないほど嫉妬したときは、そっとミュートにする。
私のこの嫉妬という感情はおそらく、人とは違う動きを見せている、かもしれない。
その子が歩んでいる道を歩みたいわけじゃない。
ただ、その子と仲良くなりたい。でも、なれない。きらきらした道を歩む子が、苔の生えた道をのろのろ歩む私なんぞと仲良くなるわけがないと思ってしまう。
それに、事実、そうなんだろうと思う。
だから、仲良くなれないから、その子を否定する。
嫉妬と尊敬は似ている。
どちらも自分にないものを持っている人に対し、憧れの気持ちを抱くところから始まると思う。
仲良い子がきらきらした道を歩んでいるのを見ると、良かったねと思うし、尊敬する。モチベーションになる。私も頑張るぞ、と。
でも、仲良くなりたいけど仲良くなれない子がきらきらしていたら。
自分のおもちゃが手に入らない子供のように、本当はあんなおもちゃいらないもん、なんて否定する。
妬む、嫉む。悔しい、むかつく。あの子の努力は知ってるけど、そんなに評価されることじゃなくないか? 、と。
今日も一人、ミュートにした。SNSなんてものに縛られず、堂々と、のびのびと生きていたいのに。
青空を見て、真っ先にインスタにあげようと思った自分は、自分じゃないような気がした。
セックスがしたい
朝、通勤途中に頬を撫でる風が涼しくて、大きく深呼吸した。肺にぐるりと入ってきた空気に秋の気配を感じる。いつの間にか、平成最後の夏は終わりを迎えていた。
「平成最後の夏にやり残したことはありませんか?」
テレビを見ていると、何回も問いかけられた。
平成最後の夏だから、のような特別な枕詞がなくても、私にはやり残しがある。否、ヤり残しがある。もっと言うと、ヤり残されている。
セックスがしたい。
四半世紀生きた。そろそろセックスを体験してみたい。
周りの友達は続々と”妊娠”、”出産”という、セックスのゴールにたどり着いている。
私はまだスタートすらしていない。クラウチングスタートのポーズをとったままで、いい加減足が釣りそうだ。
みんな、どうやってセックスに辿りついてんの。
友達と猥談になったとき、友達の話を深掘りして話を振られることを開始したり、ふらっと席を立ったりする技術は身に着けた。床の技術はまったくない。友達の深掘りしすぎて知識だけが身についていく。
小説で濡れ場が出てきても飛ばしてしまう。体験したことがなく、想像もできないのに何を考えながら読めばいいんだ。
「早漏」と笑われている人がいても、いや、早漏って何分から? 何時何分何秒? 普通って何? グーグル検索してみてもいいけど、そこで調べて知識をつけてしまうとますます頭でっかちになりそうで控えている。
「カレーを食べたことのない人はカレーを熱望しない。だからセックスをしたことない人はセックスを熱望しない」
ネットで見かけた言葉だ。
私はずっとこの言葉を胸に生きてきた。自分を律してきた。もはや座右の銘であった。
セックスなんてしなくても生きていける。子供を成さなくても、今の時代は色んな生き方があるんだから。
むしろ誇っていた。男の剣は強くあるべきで、女の城は硬くあるべきだと。
けれど、今ここに素直になる。平成最後の夏に素直になる。
セックスしたい。
だって、人間の三大欲求って食欲、睡眠欲、性欲だし。生存本能として種を残すという本能があるし。それに逆らえるわけないし。
生理の日にトイレに流れていく卵子にごめんって謝るのはもういやだ。
どうすればこの城は打ち破られるのか。守っている間に元号が変わってしまう。せめて平成の間にセックスがしたい。ひとつの時代を乗り越えた城になりたくない。
ワンナイトラブとか言うけど、あれって何がどうなってそうなるの? おしゃれなバーとかに行けばいいの? バーに行ってどうするの?
ちょっと参考にとドラマや映画を見てみても、なあなあとセックスにもつれ込んでいるわけで。ボディランゲージがすぎる。日本人の察する能力はセックスしたいかどうかも察せるんですか。人類の進歩が急速。私より先にAIがセックスする勢い。
もっと若ければ、行動に移せたかもしれない。いや、移せなかったから今こんな風になってるんだけど。でも、この年でセックスって、もう結婚じゃん。どうすりゃいいの。
同級生の中で唯一のセックス未経験な気がする。世界に取り残された気がする。
こう書いている間にも、どこかでセックスしている人たちがいる。
窓にはしとしとと秋雨が打ち付けている。私も泣きたいよ。情けない大人になってしまった。